安楽死と自殺ほう助 3
いつまで続けるの、その話?って飽き飽きしている方、申し訳ありません。
フランスでは安楽死と自殺ほう助は認められていません。ただし、夫の最期のように「苦しまずに死を迎える方法」として「Une sédation profonde et continue maintenue jusqu’au décès(以下、SPCMD)」(直訳すれば、死ぬまで続けられる深い鎮静作用)は2016年の2月からフランスの法律で正式に使用が認められました。
深い眠りにつかせ意識を落として鎮静させるのです。日本でも2004年くらいから公に使われているようですね。
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一言にガン患者と言っても、経過や最後は本当に色々です。肺ガンや喉より上のガンは、最後に呼吸困難で苦しんでしまうことが多く、夫もそうでした。私は死別当初、
「深い眠りにつかせる薬を入れて欲しいと言ったのは私。私が夫を殺してしまったも同然」
と悔やんだ時期があったのです。それでも、今2年半近く経って思うのは
「最期の最期まで意思疎通をしたいだとか、意識があるままでいて欲しいというエゴで、あのまま夫を苦しませて最期を迎えなくて良かった。」
というものです。
ブログに書いたかは忘れましたが、一度夫は呼吸停止で「亡くなりました」と看護師さんに言われたのです。その時の夫の苦しくもがいた顔が今でも脳裏に焼き付いています。結局、私が「心臓は動いています!」って言ってまた息を吹き戻したのですが・・・もしもそのままの顔で亡くなっていたら、何年も 「夫は苦しみながら亡くなった。私のせいだ。」 と後悔していたこと間違いなしです。
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SPCMDは、結局安楽死と同じだと考える人もいます。それでも、「死に至らしめる薬」を注入するわけではないので、そこは違うと私は思うのです。意思疎通はできなくなっても本人が苦しまずに逝ける方法として、患者本人はもちろん、残される家族にもいい薬だな、と。もちろん、使用せずに穏やかに最期を迎えられることに越したことはないでしょうが、誰しもがそうなるとは限らないので。。。
一番初めの記事に載せた、自殺を決めた105歳のおばあちゃんは、見ていて一番辛かった人なのが正直なところ。ここまで生きてきて、毎朝「どうしてまだ生きているんだ?」と思い、毎日神様に「早く終わらせてください」って願っていたおばあちゃん。
一人で寂しかったわけではないはずです。娘さんも一緒に暮らしていましたし。それでも、会話についていけなかったり、したいことも自分でできなくなるもどかしさ、こんな自分は生きている意味が無い、と思うのは生きながらにして苦痛だったのでしょう。
私は、このおばあちゃんと、夫の一番上の兄のゴッドファーザーであるおじいちゃん(103歳)とが重なりました。彼の場合は数ヶ月前に施設に入ることになって、今は施設で過ごしています。しかも本当の自分の家族がいない。施設もボケた人たちがほとんどで話し相手もいない。もしかしたら、おじいちゃんはおばあちゃんと同じく「早く終わらせてくれないかな」って思っているのかな・・・と。
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夫の最期を思い返すと今でも鼓動が激しくなって気分が悪くなるのですが、あの番組を観て思い出し、それでも今この時代にSPCMDがあって本当に良かったな、と思いました。
SPCMDにも賛否両論ありますけど、愛する人が呼吸困難でパニックに陥って窒息死をするのを「生き切った」とし、鎮静剤で意識がないまま亡くなることを「安楽死と一緒だからダメ」と捉えるのはどうなんだろう?愛しているからこそ穏やかに苦痛無く逝ってもらいたい、と思うのは愛ではないのでしょうか。
安楽死や自殺ほう助について、安易に賛成だとか反対だとかいえませんが・・・SPCMDを使えない状態(末期ガンではない)で、いつまで生き続けるか分からない、思うように動けない、痛みがある、などという状況だったら毎日が心身的拷問を受けているようで「これ以上生きたくない」と思うのも無理ありません。歳だからということについても、実際に老人になっていないから、その辛さも本当に分かりません・・・生きたい人もいる中で死にたい人もいる。人間って欲張りですね。
赤ちゃんを産む日を決められるのと同様、自分が死ぬ日を決められるのって何だか複雑だなーと思ってしまいます。それでも、昔の人にとってみれば、赤ちゃんを産む日を決めるのも自然に反したことだったでしょうから、文明が発展してくると、こうなってくるのも普通なのかもしれません。
「安楽死や自殺ほう助」を認める根底にあるのは「権利」とか何とかよりも、結局は「お金」なのかな。。。
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