神様なんていない

以前の記事にも同じようなことを書いていたら申し訳ありません。自分のブログ内容は読み返さないため、重複している可能性があります・・・。神様なんていない!と実際思っていらっしゃる方はスルーしてください。

私は夫が病気になり闘病し、その甲斐なく幼い息子を残して夫が若くして亡くなってしまった時、

「神様なんていないんだ」

と思いました。悲しくて悲しくて、自分が愛する人の命を救ってくれなかった神様は何なのか、しばらく考えたことがあります。

当時は死別後間もなかったため、視野も心も狭くなっていてこんな風に思っていましたが、時間が経つにつれて自分の考えが間違っているかもしれない、と思い始めました。

八百万の神の国に生まれ育った私には、やはり「神様はいない」とは言い切れないのです。というか、やはりいて欲しい。

夫が人生これからという時期に亡くなってしまったことに関して、神様という存在は人一人の命を助けたり助けなかったりするためにいるわけではない、と思い直しました。

もしも神様が一人一人を見ていて、いい人なら助ける、ということをいちいちしてくれていたら、戦争、テロ、自然災害など、世の中にこんなにも理不尽な死がたくさん起こるはずはありません。

日本の神様を見直してみれば、神様にだって間違いを起こしたり欠けているところがあったり、全知全能ではないのです。神々だって助け合っている、人それぞれの長所や短所を補い合って力を合わせて謙虚に生きることが、昔からあった日本人の姿だったんだろうな、と。

話がずれてしまいましたが、そう考えると夫の死というものは神様がどうこうできる問題ではなかった(能力的にはできることだとしても関与しない問題だった)はず、と思うようになりました。愛する人の死に直面した後に出てきた怒りが、私の場合は神様に向かったのだと思います(夫の母は医療関係者に対してでした)。

そして、夫の父親は「神様なんてもともと信じていなかったけれど、息子(夫)の死が神様がいないことを証明した」と言っています。父親の場合は今でも鼻息を荒くしてほぼ怒りながら語るのです。

昔からほとんど信仰心はなく無神論者に近い人でしたが(逆に母親は信仰心の厚いクリスチャン)、夫が病気になってから夫の母親と一緒に教会に行ってロウソクをつけたりしていたようです。それでも、自分の(私たちの)願いが叶わず逝ってしまった現実から、ますます神を信じなくなり教会からも遠ざかりました。

日本人である私と、フランスで移民の子として育ってきた夫の父親とでは育ってきた環境が異なるため、私が納得したこと(やはり神様はいるんだと思いたい思い)を夫の父親には説明できませんし、説明したところで

「何言ってんだ、こいつ!?」

と思われること間違いなしです。

「家族の強い願いで人一人の命を救えるのであれば、理不尽な死に方などする人はいないし、それが神様がいない証拠にならないんだよ」

と言っても無駄だな、と、いつも夫の父親の話を聞き流しながら思います。

夫の父の怒りを少しでも抑えたいな、と思いつつも、神様がいるいない論争をしたところで、夫が帰ってくるわけではないですし、夫の父はますますエキサイトするだけですからね。。。私は聞くだけにしています。

 

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