最愛の夫に続き、祖母まで

書類に関する手続きの続きを書こうと思っていましたが、あまり気乗りしないので別な話題を書きます。

 

実は、最愛の夫を亡くして3ヶ月も経たないうちに日本の祖母が亡くなりました。90歳を過ぎていたので大往生ですし、若い時から体が弱かったのにも関わらずここまで長生きしてくれたので本当によく頑張ってくれたと思います。祖母が危ないということで、夫が亡くなってすぐに日本へ帰国していました。

お葬式に出るよりも、生きている祖母に会いたかったですし、祖母もいつも異国の地にいる孫娘を心配してくれていたので、一目でも顔を見せたかったのです。息子も生まれてから会わせたことがなかったので、この機会に見せたかったというのもあります。

1ヶ月ほどの滞在でしたが、私たちがフランスに戻ってきて2週間ほどで亡くなってしまいました。到着した時はあまり意識がしっかりしていなかったのですが、私の母の顔を見て(母は夫の葬儀のためにフランスに来てくれていました)安心したのか喋れるようにまでなりました。息子を見てすぐに名前を呼んでくれましたし、思い切って行ってみて良かったと思います。

しかし誤嚥肺炎や帯状疱疹が原因で食べることができなくなり、あまり責任を取りたくないという態度があからさまな病院側は点滴のみの対応。お腹が空いた、喉が渇いた、という祖母の期待には最後まで応えられなかったのが何だか夫の姿と重なり、死に目には会えていませんが悲しくて涙が出てきます。

実家と祖父母宅は徒歩2分ほどの距離でしたので、母がいない時は祖母の家に帰って遊んでいました。お菓子やアイスクリーム、手作りの美味しい煮物や漬け物がいつでもある祖母の家は、母がいなくても寂しいことはなく、楽しい思い出ばかりです。

返事が来ない手紙をフランスから書き続けて数年(祖母は読むのが担当で返事を返してはくれませんでした)。いつかこの日が来ることは分かっていましたが、小さい時からそばにいてくれた祖母がいないということが今も信じられません。

祖母には、夫のガンのことは話していません。話したら必要以上に心配して良くないから話さない方がいいという母の判断です。確かに母の判断は間違っていないと思いました。夫は私の祖母を「かわいい、かわいい」と言っていたので、もしかしたら夫も祖母のことを迎えに行ったかもしれません。行っていなくてもあちらの世界で会ったと思います。祖母は驚いていたかな。それと同時に、ますます私のことを心配しているかも。

実は祖母が亡くなった日、朝早くに弟から、祖母が危ないみたいだから今から行ってみて来る、とメールが来ました。

危ないみたい、というのは今まで何度もあったのですが、このメールを受け取ってから朝ご飯を息子と食べていて、ふと

 

おばあちゃん、ありがとうね。

 

と思って時計を見たら朝の8時(日本時間16時)でした。そして30分ほど経った頃に母にメールをしてみたら、日本時間の15時30分(朝の7時半)に亡くなった、とのこと。。。私が、ふと祖母のことを思ったとき、もしかしたらちょうど祖母の魂が私のところに来ていたのかもしれないな、と思いました。

 

私にとって祖母がここまで近い存在でなければあまり悲しむことも無かったと思いますが(他の従兄弟は恐らく私たち兄弟ほど悲しんでいないはず)、祖父の時と同じように喪失感でいっぱいです。夫に続き、祖母までも逝ってしまうなんて。どうしてこのタイミングなのだろう・・・と、どこにぶつけていいか分からないモヤモヤした感情でいっぱいです。

 

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