10年

本当に色々と忙しくて全然ブログ書く暇がなく、あっという間に3月になっていました。7日からようやく息子は幼稚園再開。でも7週間後にはイースターのバカンスが待っています(!)。

バカンス中は、コロナ感染者数が増えていることもあり、こちらの地方では週末外出制限が出されていました。が、みんな外出制限なんてどこ吹く風。普通に外を歩いている人が多く

「だから減らないんじゃないの!?」

って思った次第です。実は息子のバカンスのせいで出勤日調整があり、2週とも日曜出勤していたんです。車はほとんど走っていませんでしたが、息子を迎えに行ったらたくさんの人、人、人。取り締まる警察官もおらず、何の意味もないなと。

 

***

 

日本では、間も無く東日本大震災から10年ということで、いろんな特集をやっているかと思います。私もこの時期になるとあの日のことを思い出します。そしてあの日まだまだ元気だった夫を思い出すのです。

結婚式を4ヶ月後に控えた私たち。気分転換にと夫がバカンスをとって、夫の両親の山小屋へ二人で行っていました。すでにブログにも書きましたが、朝ゆっくり起きようとしていた私は、友達からの電話に起こされたのです。

 

「君の国が大変なことになっている!」

 

と。そこには見たことがある景色も映っていて、まさか私の故郷があんなことになるなんてと。家族が大変な思いをしているんだから今すぐ帰りたい!と居ても立っても居られず(もともと、その1、2週間後に一時帰国するつもりでした)。夫は

 

「君のしたいようにしたらいい」

 

と言ってくれましたが、結局大変な状況の中で私が食料を持って帰って一時帰国しても邪魔になるだけの話。しかも新幹線すら復旧していない状態で帰るのは不可能に近い(2ヶ月経たないうちに復旧はしましたが、私はすぐに帰ろうとしていたので)。そして夫の家族は放射線がどうこう本当にうるさくてうるさくて!!それがすごくストレスでした。

 

だから私に帰るなってこと?でもそれでも私は帰る!

 

と逆に意地になっていましたが、結局帰らないことに決めました。でも、それが義家族から色々言われたからじゃないってことはハッキリしておきたくて言ってみても「ああそう」って感じで、何だかモヤモヤが残るだけでした(苦笑)。

 

***

 

あの時、夫は元気で人の心配をするくらいの余裕があったのに、その6年後にはこの世からいなくなっているなんて。そして今年は結婚から10年目になるのか・・・もう少し経てば、夫といた時間よりも夫と死別してからの時間の方が長くなることに気づいて愕然としました。

 

震災で突然ご家族を亡くされた皆さまと比べれば、私は夫にお別れを言う時間もあったから「心の準備ができていなかった」なんて言えないです。それに、いまだに遺体とすら対面できていない方もいらっしゃると思うと、その心中は察するに余りあります。

自分以外の誰かと比べて、自分はこんな状況だったんだから悲しんでちゃダメなんだ!もっと辛い人もいるんだ!とは思っていませんが・・・いつからだろう?夫との思い出が本当に本当に古い過去の話のようになって、どこか別な自分が今を生きているような気がするんです(多重人格とかではないです。笑)。

思うに、今は「私」ではなく「息子の母」として一生懸命生きているだけな感じがします。かといって、息子が巣立ってから抜け殻みたいにならないように、自分も取り戻していかないと!とは思っています。

数週間前に息子が突然、

「ママが一番泣いた時っていつ?」

と聞いてきたので、包み隠さず

「パパが死んじゃった時だね。そのあとはずっと泣いていたし」

と答えたら、息子は息子なりに色々考えていたみたいです。今も私が泣いているのかと思って

「ママ、パパがいなくても**と一緒にいたら楽しいでしょ?だから、もう泣かないで。パパのことは忘れていいよ。二人で楽しく幸せに生きようね?」

って言ってくれて、なんとも言えない複雑な気分になりました(泣き笑い)。息子は息子なりに私の心配をしてくれる。私は息子を悲しませてはいけない、それが今一番大事なこと!と思っています。

話がずれましたが(いつものこと!)、こうやって息子も優しく素直に育ってくれていることが唯一救われることかな。。。

 

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