没イチと老後

今日はこちらで「ゴースト」がやっていました。観る前から観られる気がしなかったのでやめておきました。。。

先日、ネットでニュースを読みながら色んなところにいっていると、

「配偶者と死別した人たちのことを没イチ」

と呼ぶ人がいるということを知りました。

「いやー、私、実は没イチなんです。」

とか言うんでしょうかね。この言葉が日本で浸透しているのか否かはわかりませんが、言われても

「え?ボツイチって?バツイチじゃなく??」

などと聞き返されないのかな?と疑問に思ってしまいます。

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今ではみんなが使うであろう「バツイチ(2、3・・・)」も90年代初めに使われ始めた言葉ですよね。20年もしたら「没イチ」も普通になるのかな。。。

別にこの言葉を批判するつもりはありませんが、私は使わないですね(割りときっぱり)。

「うまいこと言ったな」

とは思いますけど・・・何か軽い感じ?別に

「離婚は軽いイメージでもいいけど、死別は軽くちゃいけない!」

という意味ではないんですけど・・・伝わるかなあ。

そして、この「没イチ」という言葉は、割りと年上の方向けに作られた言葉なのかな?とも思います。

「没イチになっちゃったけど、老後も楽しく生きよう!」

みたいな(勝手な解釈)。というか配偶者との死別って大体60代前後からが多いようですから、必然的にそうなるのでしょうね。。。

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みなさん、老後はどんなイメージを抱えていますか?

最近、ふとした瞬間に

「例えば息子がこのままフランスにいたいと言って、私が60歳過ぎまで生きられたとして、フランスにい続けるのだろうか?アルツハイマーになってフランス語もわからなくて日本語しか話せなくなったりしたらどうしたらいいのだろう?」

と軽くではありながらも、結構真剣に考えています(苦笑)。息子は日本語を流暢に話せますが、息子ありきで考えたくないので・・・やはり息子が成人したら日本なのかな?でもその頃に両親はいないだろうし・・・うーん。

なんて、考えても仕方ないことを考えています。仕方ないことではないのかな?ありえる選択肢を色々考えてシミュレーションする毎日です。

まあ、私に老後が訪れるという保証は一切ないんですけどね。    

 

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