ベトナム難民のお話

学校帰りに寄る公園で、いつからかアジア系のおばあさんとその息子&孫(女の子)を見かけるようになりました。息子さん(おそらく同年代)は無口でいつも下を向いて内向的な様子がみて取れましたが、おばあさんは同じアジア人の私に興味があるようで、日に日に距離が近くなって挨拶するようになりました。

先日、夫の両親がその公園で私と息子を待っていたのですが、到着すると同時に、そのおばあさんも近くに来ました。どうみても血の繋がりはない夫の両親と私をみて

「親子なんですか?時々一緒に来ているから」

と話しかけて来ました。義理の親子ですって答えると

「あらー、いいわね。義理の親子なのに頻繁に来てお話をして。」

と。そして私がどこの出身か聞いて来て、私がおばあさんに

「ベトナムの方ですか?」

と聞くと

「よくわかったわね!よく中国人って言われるんだけどね。」

そうしたら、そこからものすごい勢いでおばあさんの人生総振り返り話が始まりました。少し親しくなった人には絶対に話す話なのか、滑らかに(でもアクセントは強い)進みます。

***

祖国ベトナムでは第二次世界大戦からインドシナ戦争にかけて家族が殺され、爆弾に怯えながら食料を調達し、親戚と共に生きながらえていたんだとか(確か8歳だったって言っていました)。そのあとラオスに移動してからフランスへ。難民として受け入れてもらえたそうです。

年代は聞いていませんが(質問を挟むと長くなるので)、おそらく50〜60年代にフランスに来たんだと思います。 フランス語を話せず、食べ物も口に合わず、とにかく大変だったと。ただ、爆弾に怯えなくていい、それだけで素晴らしいところだって思えたと言っていました。

パリで住み込みの仕事をしながら働き、その雇い主に正式に雇われていると思っていたらブラックで、しかも大麻の栽培を手伝わされたとか(笑)なんだかすごい話が続きました。かなり苦労してコツコツお金をため、ラオス人男性と結婚をし、2人の子供に恵まれたそう。フランス国籍を取得してから、フランスの郵便局で働き始めて定年まで勤め、定年になった途端に旦那さんが倒れて半身不随になり、10年間看病していたそうです。

これだけ苦労し、時には人種差別も受けながら頑張って生きて来たんだ!ということを、みんなに話して認めて欲しいのかな、と聞きながら思いました。

すると、隣のベンチにいた知らないフランス人男性(60代)も混ざって来て、

「もともと私はパリに住んでいたんですが、その頃仕事もうまくいっていなくてね。でも、ある日ベトナム人の老人に出会ったんです。話を聞くと、なんと80歳でベトナムからフランスに難民として来たというわけ。80歳ですよ?普通なら死ぬのを待つばかりじゃないですか。家族もお金もなしに一人で来た80歳の老人が、パリでベトナム料理のレストランを開いて成功し、お金持ちになったんですよ。信じられますか?私はその話を聞いたら自分が恥ずかしくなりました。」

と、なんだかベトナム難民話に花が咲いてしまいました(苦笑)。

***

80歳のおじいさんがレストランを開く資金をどうやって調達したかなんて野暮な質問はしません(おそらくベトナム人同士の助け合いかな?)。 ただただ、おばあさんとおじいさんが頑張ってきた、そのハングリー精神というか野心というか、今の私に欠けているものを教えてもらえたな、と心の中で感謝しました。

実はその時偶然にも、野心のすすめ (講談社現代新書)という本を読んでいたのです。いただいた本なんですけど、いただいた本って大体読み終わると日本人のお友達にあげていたのです。でもなぜかその本(ともう一冊)は手元に残っていて。数年ぶりに読んでみようと読んで

「昔から私には野心が欠けている。失ったり失敗することを恐れて何も行動ができていない。言い訳ばかりだし。」

と思っていたところでした。 この二人のベトナム難民の話を聞いて、もうちょっと頑張れるだろう、人生一度きりなんだから頑張りなさい私!と思ったのです。    

 

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