断捨離

夫との死別を経験してから「死は生と隣り合わせ」という言葉が身に沁みてわかりました。人間に限らず、生きているものは必ず死ぬ。死に向かって生きているものなのだ、と。それ(誰しも必ず死ぬもの)を理論的には分かってはいても、どこか別次元のものと考えて毎日を生きている人が多いでしょうし、私も実際そうでした。

私に明日は来ないかもしれない。来週、来月、来年、私はここにいないかもしれない。

ただ、そう思いながら人間は毎日を生きられないですし、それでは人生を楽しめないのかもしれません。しかし、治らない病気を宣告された人は少なからずそういうことは考えながら生きているでしょうし、夫も弱りゆく自分の肉体を感じつつも、精神的には強く生きようとしながら現実を認めざるを得なかった状況だったことを思うと、そうした時にそばにいられなかった自分を悔います。

死別後数ヶ月が経ち、

夫が残したものをそのままにしながら、もしも突然自分の身に何かがあった場合、一体誰がどのように片付けてくれるのだろう。

と思い立ち、このままにしていてはいけないな、と危機感を覚えました。それでも幼い子を足元に置きながら思うように作業はできないため、

 

息子が学校に行き始めたら片付けも始めよう。

 

そう思っていました。しかし、現実は息子が幼稚園に行って自分が休みの日の3時間しか猶予がなく、日々の家事をプラスするとそこまで手をつけられません。しかも、まだ心がついていっていないのが本心。そうなると、片付けてしまってから後悔が湧いてくることは絶対。

そのため、まずは夫のものではなく、自分のものから片付けることに決めました。一度にやろうとせず、少しずつ。1年間使用(着用)しなかったものは今後も必要のないものと判断し、ゴミ袋へ。「1年着用しなくても夫に買ってもらったもの」は別枠でまだ捨てられませんが、それでも衣類だけで大きなゴミ袋1.5袋分になりました。

私は物欲が強い方ではありませんが、なかなか思うように捨てられないのが悩みどころ。死んでは何も持っていけない、ことを考えながら、もう少し身の回りのダイエットを続けようと思います。

 

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