夫の危篤と息子
4回目の月命日が過ぎて、何だか気分が下降気味なこともあり、ブログを書く気になれませんでした。あっという間の4ヶ月なのか、まだ4ヶ月しか経っていないの?なのか、自分でも良く分からない状態です。
今回は息子のことを少し書こうと思います。
実は、夫が突然危篤状態に陥った日から丸4日間、夫の兄の奥さん(以下、お姉さん)に面倒を見てもらっていました。あまり会ったこともない上に、それまで私から3時間も離れたことの無かった息子。当時はフランス語もほとんど理解できなかったため、夫の家族に全然懐いていませんでした。そんな状態でもこの時は息子よりも夫。快く見てくれるお姉さんに感謝して預けました。彼女にはすでに子どもが3人もおり、上二人は小学生で一緒に遊んでくれるだろうし、息子としても大人だけの空間に放り込まれるよりも溶け込みやすいかと思いました。
ベビーカーに乗せたままお姉さんと会い、そのまま知らないふりして押し手を変わってもらい、私は病院へ。その後二人は公園へ行きました。初めは
「ママ?ママ??」
と探していたようですが、途中で諦めたみたいです。
その後、彼らは家に帰ったそうなのですが、なんとベビーカーから降りない!と泣き叫んだそう。降りたら連れて行かれると思ったのか(すでに連れ去られていますが)、降りなければ私が帰って来ると思ったのか。小さいながらに色々と考えていたんだな、と話を聞いて泣きそうでした。ベビーカーをそのまま家の中に入れられる土足生活だからいいものの・・・日本だったらどうなっていたことでしょうか。1日目は結構泣いて疲れたみたいでベビーカーの上で寝てしまい、その後ベッドに移動してくれたようです。
クリスマスの時期だったので、丁度子どもたちもお休みでした。そのため、毎日みんなで公園へ行き遊んでくれたみたいです。
夫は自分の体調よりも息子を心配するくらいだったので、1日に何回かくるお姉さんからの報告メールを夫に報告できて安心でした。
夫が亡くなった日の夜は、翌日に葬儀社の手配など1日中動き回る予定が入っていたので、そのまま息子を泊めてもらうことに。待ちに待った4日目、疲れ果てた姿で息子を迎えに行きました。
ちょうど夕方のオヤツを食べているときだったのですが、扉を開けて私の顔を見た時の息子。一瞬泣きそうな顔になったのですが、どう反応していいのか分からないような照れ隠しというか、少し(結構?)怒っているのか、近づかないとこちらに気づかないふりをしていました。
4日ぶりに抱っこをして、じゃあ帰ろうか!と言い息子に靴を履かせようとした瞬間(お姉さん宅は土足なのですが家に入ってしまうと靴下のまま生活しています)。
これ、パパ直したねー。パパすごいねー。
と、自分(息子)の靴を指しニコニコしながら日本語で言ったのです。夫が亡くなった時から涙が出なかった私は、この言葉を聞いて泣いてしまいました。
少し甲高な息子は甲の部分にゴムがあるタイプのスニーカーを履いていたのですが、そのゴムがきつかったみたいで、痛い痛いと言っていたのです(足のサイズは丁度いい)。そのため買い替えようかと思っていましたが、夫がゴムを緩めて(思いっきり伸ばして)くれて痛くなく履けるようになったのです。
1ヶ月くらいも前のことを覚えていて、自分のためにパパがやってくれたんだ、ということを嬉しそうに話す息子を見て涙が止まりませんでした。そして同時に「夫が亡くなったことを息子が分かるような言葉で教えなければ」と思いました。
少し長くなってしまったので、続きは後日。