奇跡

愛する人が病に倒れてしまい、特にそれが完治は難しい病気の場合、私たちはどうしても

 

どうか奇跡が起きてください!治してください!

 

と思ってしまいます。そして、その願いも虚しく亡くなってしまうと

 

神も仏もいないんだ。。。

 

と思ってしまったりもします。

私は夫が病気になってから、治るかもしれないありとあらゆる手段を調べて調べて、夫に試してほしいとお願いしました。でも、それは夫にとってみれば

 

そんなことで治るわけがない怪しい方法

 

でしかなく(変な薬とかではなく、食事療法のことなのですが、西洋医学どっぷりの夫にとっては怪しいものでしかありませんでした)、積極的に取り組んでもらえませんでした。

 

「これを飲んだら奇跡が起きた!」
「全身に回ったガンが消えた!」

 

などなど、世の中には大変な状況にある人たちの心をくすぐる謳い文句が溢れています。

何が本当か、何が嘘か、見極めることも必要ですが、大体が嘘だなと今は思います。そして本当に効果があったものもあるのかもしれませんが、それは人(病状)によるんだな、と。冷静になって考えればわかることなのですが、当事者としては大金を出してでも、奇跡に繋がるのであれば試したい!と思ってしまうものなのです。

だいたい、奇跡というものはみんなに起こってしまっては奇跡ではないのです。ありえないことが或る人に起こったこと、それが奇跡なのだ、と。だから或る人が完治した方法でみんなが治れば奇跡ではないわけです。

もちろん、愛する人のために「どうか奇跡が起こってほしい」と思うのは至極当たり前。でも、神も仏も「たった一人の命を救う」ことはしないのです、残念ながら。そうでなければ、この世の中に悲惨な事件や事故は起きませんし、人は死ななくなってしまいます。こういう無情なことが起きるのが、この世の中なのです。

と、頭の中で割り切れればいいものの、現実は難しいですよね。

「どうして私の夫が?」「どうして息子からパパを奪ったの?」

と思ってしまいます。

無邪気に遊ぶ息子を見ながら

「夫が生きていれば、もっと色んなことを三人でできたな。夫が今の息子の姿を見たら本当に喜ぶだろうな。」

とも思いますが、こうして息子が生まれきて健康に成長してくれることも奇跡なんだ、と考えると、人の命は生まれたり消えたりしながら結局は繋がっているんだな、と何だか哲学的(?)なまとめになってしまいました。まとまっているのかいないのか、何が言いたいのか分かりにくくてすみません。

 

 

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